『幻の光』感想/原作とメディアミックス

 

 

◆『幻の光』感想

 

宮本輝の『幻の光』を読んだ。

喪失の物語であるのだが、あたたかさがある。

冷たい物に触れたとき、その冷たさに驚くと同時に、

自分という身体のあたたかさも感じるような、そんな読後感だった。

 

短編になっているが、

空気感は一貫して、どんよりとした鈍色の空を思わせる。

それがなぜか心に馴染むのだ。

 

何というか、現実の濃度が同じに感じるのだ。

冷たすぎずあたたかくなりすぎず、

悲惨すぎず、幸福すぎない。

現実と物語、同じ濃度のものが本という半透膜を通して並んでいる。

そこに浸透圧は起きない。

 

通常、物語と呼ばれるものにはクライマックスがある。

登場人物の世界が一変するような出来事。

物語の、物語たり得る部分。

日常の連続だけでは物語にならない。

 

あるときは、普通の大学生がデスノートを手にして、

世界を変えようとして、最後は死神に見放される。

 

あるときは、桃から生まれて、

鬼退治をして、宝物を得て幸せに暮らす。

 

普通の世界から異界へと、

異界から現実へと、

物語から生まれるカタルシスがある。

 

 

しかし、『幻の光』には、

そうしたわかりやすいカタルシスはないように感じる。

あるのは、登場人物たちの心の中のカタルシス

 

取り立てて大きな出来事や、

日々が一変するような出来事が生じるわけではない。

しかし登場人物たちが過去を遡ることで、

現実の受け止め方が変容していく。

 

その心の変化の連続が、日常を生きるということなのかもしれない。

だからこそ、この物語は自分たちの現実に地続きのような感じがして、

曇天のような景色の中にほのあたたかさを感じるのだ。

 

 

 

◆くだまき

 

なんでデスノートと桃太郎?

 

他になかっただろうか?

 

なぜひとつは漫画で、

ひとつは童話なんだ。

 

 

もちろん、デスノートは面白い作品だし、

桃太郎は誰もが知る作品で、

そのふた作品が悪いとかではまったくないのだが。

 

 

うーむ、『幻の光』という作品に合ってなくないか。

この、日常と喪失、淡々としつつもあたたかさのある作品……

 

そうだ!

『この世界の片隅で』はどうだろうか!

 

 

しかし、映画しか観たことがない……

(こうの史代先生、ごめんなさい……)

 

原作はもうゲットしているものの、

なんだかんだ読めていない。

 

幻の光』も、数年前に購入して、

やっと積読を解消したのだ。

 

明らかに買うスピードに読むスペードが追いついていない。

高速移動している点Pが、点Qを追い越している。

 

 

話は変わるが、映画にしろ小説しろ漫画にしろドラマにしろ、

原作を読んでいないと申し訳なさがすごい。

 

なので最近知り合いに、

「やっと『鬼滅の刃』観終わったんですよ!」と言われて、

「アニメはちょっとしか観たことないんですけど、漫画は読みました」という自分の発言に対して、

「えっ、漫画派ですか?」

と言われると、そうじゃないの舞を舞いたくなる。

 

そうじゃない。

 

でもその理由を表立って言うと、

 

原作原理主義者

お高くとまった原作厨、

『この世界の片隅で』を読め

ついでに攻殻機動隊の原作を読め

オタクのルールこわ

そういった人間のせいで界隈に人が寄りつかなくなるんですよ!

進撃の巨人』の映画版を好きな人もいるんです!

古参アピきっしょ

めんどくせー、お前とはもうこういう話しないわ、じゃあな

 

と言われそうで、

「ね! アニメおもしろいみたいっすね!」

と返すのみにとどまっている。

 

もちろん、上に書いたのは誇張のオンパレード……

偏見の箇条書きストロングスタイルだが、

そもそも"原作"とアニメ化作品を分けようとすること自体、

無粋に感じる人もいるかもしれない。

 

原作に触れるのがマナーな訳ではない、

ともちろん思っているけれど、

原作を知らないと、その作品の大事な部分を取りこぼしているような気がしてむず痒い。

 

誰かの話をまた聞きしている感覚とも言えるだろうか。

自分の好きな作品がアニメ化して、

楽しみにリアタイしたら、ちょっとイメージと違ったりとか、

あ、このシーンって省かれたんだ……と制作者と自分の好きポイントが異なったりとか。

 

漫画のテンポ感とアニメのテンポ感は違うし、

1クールに収めようとすると、完璧な再現なんて無理で。

 

そもそも再現なんて必要なくて、

シャフトのようにシャフト節をきかせてくれた方が

原作の尖った部分を表現してくれているなと感じる、など、

原作とメディアミックスの関係性など、媒体ごと監督ごと作者ごとに違うのだろうが、

そうした違和感を感じることもあり、

だったら原作を読めば、その作品のオリジナルの良さを直で浴びることができるのではないか。

 

そうした思いが心の片隅にあり、

まずは原作を手に取ることが多い。

 

でも、アニメで見て、

この雰囲気好きだァと思って原作を手にとった『彼氏彼女の事情』は、

原作とアニメで全然テイストが違ったりするし、

ブレードランナー」を観たあとに、

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読むと、

映画を観たおかげで理解が捗ったりする。

 

 

メディアミックスされた作品があまりに違うと、

もう別作品として楽しめるのだが、

原作のストーリーをそのままドラマ化した、アニメ化した、だと、

その差異に目がいってしまうのかもしれない。

 

 

面白すぎて、勢いで全巻読んだハリーポッターシリーズは、

周りに映画版を観た友人しかいない。

そういう自分は、「秘密の部屋」までしか映画を観ていない。

 

それでも、友人が話した、

毒薬を飲み続けるダンブルドアのセリフを

飲み会で活用して盛り上がったという話に馬鹿笑いできるので、

さまざまなメディアにファンがいて、

作品を触れる機会が多いということは良いことなのだろう。

 

もちろん、無理矢理飲ませるのは絶対NGだが。

 

 

◆余談

 

自分へのご褒美よ、と思って、

Rodda’sのスコーンとクロテッドクリームを購入したら、

クロテッドクリームは冷蔵庫に入れ忘れて一晩経ち、

スコーンはトースターの激ヤバ火力で熱々に焼いてしまい、

真っ黒に焦げた。

 

焦げ以外をかき分けて食べたらとてもおいしかった。